ソフトボールの名門、長崎県立大村工業高校。2022年春の全国選抜大会と夏のインターハイの二冠を達成したチームで、春夏合わせて過去13回、日本一に輝いた実績を持っています。そんな大村工業高校の切り込み隊長として本年度の優勝に貢献したのが松尾唯斗さん。「趣味もソフトボール」というほど幼少期からのめり込んできましたが、高校限りでソフトボールを止めることにしました。理由は、ボートレーサーを目指すため。実は、ボートレース発祥の地である大村市。地元の星の誕生なるか!? 周囲のほのかな期待も乗せて少年の夢が動き出しました。
大好きな兄の背中を追いかけて。
ソフトボールは小学校2年生の時に始めました。当時学校ではサッカーが流行っていたんですが、唯斗は2つ上の兄の影響で自然とソフトボールに興味を持ち、父も兄も従兄弟も入っていた小学校のソフトボールクラブ「愛野暁(あいのあかつき)」に入部しました。愛野暁は練習がなかなかハードで、(当時は)月曜日以外は16時半から19時まで毎日練習。年間40試合くらいあって、土日も試合という学校とソフトボールばかりの生活になりました。それでも唯斗はちっとも飽きないようで、兄と一緒に毎日楽しそうにしていました。
今もなんですけど、2人は本当に仲がいいんです。唯斗はゲームでも運動でもすぐになんでもできる要領のいいタイプなので、ちょっと不器用で努力家の兄にしてみれば自慢の弟みたい。小さい頃は家にいる時もリビングのソファで二人くっついて、ゲームしたりしていましたね。中学ではソフトボール部がなかったので軟式野球部に入りましたが、高校は大好きな兄の背中を追いかけて名門・大村工業高校に入学することになりました。
大村工業での教えは一生の宝物。
大村工業高校は指導方針が素晴らしいんです。「ソフトボールをするためだけではなく、社会で活躍する人間を育てるための高校生活です」と最初の保護者会で言われたのですが、部活を通して子どもたちの自主性を育てる指導をしてくださいました。山口義男監督、納冨剛コーチ、池田宏悦部長と3名の先生がいらっしゃるのですが、三者三様のサポートしてくださいました。
食事指導もその1つです。入部した時にセミナーを受け、栄養分析をしてもらったのですが全然足りてなくて。本や雑誌を買い漁って独学で勉強しました。唯斗は野菜があまり好きではないので、好物のホットサンドに野菜を入れたり、味付けを変えたり、少しでも食べてもらえるように工夫しました。でも、俊敏さが選手としての持ち味だったので、無理して食べさせるところまではしませんでした。
最後のインターハイは、稼業の農業を休んで主人と娘と一緒に全試合を観に行きました。最初からヒリヒリするような試合が多かったですが、決勝戦でも繋いで繋いでチーム一丸となって競り勝って素晴らしかった。兄の代は感染症対策で全国選抜大会とインターハイが中止されてしまったので、兄の借りを返そうという気持ちもあったのだと思います。
「ボートレーサーになりたい」って、目が叫んでた。
「向いてるからボートレーサーになったら?」と最初に言い出したのは主人です。唯斗が小学生の頃からよく言っていました。本人は受け流していましたけれど、高校1年の時に生でレースを観に行って帰宅すると目をキラキラさせていて。これだって思ったんでしょうね、私も初めて見るような表情をしていたのが記憶に残っています。
ボートレーサーの養成所は入学するのも20倍の狭き門ですし、入ってからも厳しい生活が続きます。険しい道だけど、唯斗は周りの人を幸せにする力を持っているから、きっとやってくれるんじゃないかな。名前に込めた「唯一の人になって欲しい」という親の想いを叶えてくれるんじゃないかなって思っています。
でもね、唯斗は本当に生活能力がないんですよ。割と神経質なところがあって掃除は結構やってくれるんですけれど、料理も洗濯も全く手伝わないですし、興味もないみたい。「お兄ちゃんこれ忘れないで」って下の妹にお世話してもらっているくらいで(笑)。スムーズに試験に受かれば春にはもう独り立ちなんですけどね。家を出て必要に迫られたらちゃんとやるんでしょうか(笑)、うん、やってくれるかな。
※2022年11月 公開