中世ヨーロッパの騎士たちの剣術をルーツに持つフェンシング。日本では太田雄貴選手の北京五輪での活躍で一躍脚光を浴びました。近年は、メダルを獲得する日本人強豪選手が続々登場していますが、まだ珍しいスポーツの1つと言えるでしょう。経験のある親のもとフェンシングを始める子が多いようですが、河原資起(もとき)さんの場合はちょっと違いました。アンダー20の世界トップフェンサーが集う「世界ジュニア・カデ・フェンシング選手権大会」に、カデ(13歳以上17歳未満)男子サーブル部門の日本代表として2年連続参戦している実力者が、どんな風にフェンシングに出会いのめり込んでいったのか、お母さんにお話を伺いました。
フェンシングとの出会いはひょんなことから
フェンシングとの出会いは、資起が小学1年生の頃。当時住んでいた杉並区主催のスポーツ教室です。近所の中学校で時々開催されている練習会に興味本位で参加してみると、白いユニフォームを着て本格的に練習している人たちは、学校とかクラブチームとか、別に所属しているチームのゼッケンをつけていたんですね。その中に「ワセダクラブ」っていう早稲田大学で行われているクラブチームの名前を見つけました。主人が早稲田大学出身だったので縁を感じて、そっちも見てみようとワセダクラブの門を叩いたところから、フェンシングの世界が一気に広がっていきました。
モードが変わったのは小3くらいかな。試合に出始めるようになり、勝ちたいという気持ちから熱くなっていったように思います。練習の付き添いは主人の担当なんですが、いつの間にか主人も夢中に。パパ友とフェンシング情報を交換し、こんなトレーニングが必要だとか、個人レッスンをしてくれるいいコーチがいるとか、上達のため熱心にサポートしていました。そんな二人を見ていると「一体どうなっちゃうの!?」と一抹の不安を覚えることも。でも、試合で立派に戦う姿を見て不安は吹き飛びました。フェンシングでの経験はきっとこの子の財産になると思ったんです。
孤独でシビアな戦いで育まれた自立心
フェンシングは「性格が悪い方が強い」なんて言われることもあるくらい駆け引きがあるし、一瞬の決断力が必要です。そのおかげでしょうか、資起は自立心がとても強い子になりました。フェンシング以外の場面でも、自分で調べて自分で考えて自分で決めて動きます。口出しすると嫌がるし、よく覚えていて「あれはお母さんの意志だった」なんて後々言われたりするのでかないません。
それでいながらおしゃべりな子で、夕食時には今日思ったことをベラベラと話すんです。私が口を挟むと「何も知らないくせに」って怒ったりするんですけど、しばらくするとまた話し始めて「ちゃんと聞いてる!?」って(笑)。話は聞いてほしいけど自分で決めたい、成長期のアンバランスなところも可愛いんですよね。
学校の部活以外に外部のクラブチームや大学の練習にも参加していて、高校に入ってからは筋力トレーニングも始めました。本当に時間がない中で、勉強もよく頑張っていて、我が子ながら感心しています。休みの前日なんかは朝まで友達とオンラインゲームしているけれど、高校生ですもん、そういうのも必要ですよね。
母のひと工夫が効いた“男飯”が元気の源
私は管理栄養士としてフルタイムで病院に勤務しているので、資起のためにしてあげられることと言えば食事くらいなんです。栄養の知識はありますがアスリートの食事は全く別レベルですからね、いろいろ調べて勉強しました。
特に意識しているのは体をつくるタンパク質と、貧血予防のため鉄分を摂取すること。お弁当だとごはんの量を200g以上はとらせたいと思っています。資起はお肉が好きで、野菜だけのおかずだと箸をつけてくれないこともあるので、お肉の上に旬の野菜を炒めてのせたりして、自然と栄養バランスが整うように工夫しています。味付けも変わったものにすると嫌がるので、焼肉のたれのようなご飯が進むベーシックな味付けで。いわゆる“男飯”です。
ここ数年は、日本代表として世界ジュニア・カデ・フェンシング選手権大会に参加させてもらったりして、親としてはちょっとソワソワしちゃう時もあるんですが、将来のことも本人にお任せです。私に相談することはありませんが、先輩選手や顧問の先生、コーチなど、周りに素晴らしい人がたくさんいるので、よく話を聞いているみたいですよ。私としては悔いのない選択をしてくれたらそれでいい。資起が選んだ道を全力でサポートしていこうと思っています。
※2023年5月 公開