vol.21 野球

佐々木蓮也さん(15)ヤングMAKIBIクラブ所属さとみさん

From Parents to Child

緑萌ゆるなだらかな低山と豊かな水を湛える河川に囲まれた岡山県倉敷市真備町。日本の原風景のようにのどかな景色ですが、平成最大の水害となった2018年の西日本豪雨で最も被害を受けたエリアです。6年間の復興計画を終えたこの町から、いままさに羽ばたこうとしているのが、ヤングリーグで活躍する中学3年生の佐々木蓮也くん。黄金の左腕で自らの道を切り開く、わんぱく少年のストーリーをお届けします。

さとみさんは保護者会の副会長。当番制で集まるパパ・ママと一緒に、監督やコーチ陣のサポート、グラウンドの手入れや体調が悪い子のケアなど1日中動き回っている。

物心ついた頃から野球一筋!

5つ上の兄(翔也さん)が学童野球に入っていたので、蓮也はヨチヨチ歩きの頃から長い時間をグラウンドで過ごしてきました。物心つく頃にはすみっこで壁投げをしたり、手が空いている大人を見つけてはキャッチボールしてもらったり。年長のクリスマス、サンタさんが小さなチームユニフォームをプレゼントしてくれた時にはそれはそれは喜んでくれました。

練習がない日も小学校が終わったら急いで近くのグラウンドへ行き、家族で陽が暮れるまで野球するのが日課。家でもボールを離しません。好きこそものの上手なれで上達し、6年生の時に倉敷の選抜チーム入りすると、岡山県の選抜チームにも選ばれて視野が一気に広がりました。中学になったら選抜のメンバーがたくさんいるクラブチームに入りたいと言い出したのもその頃。兄がクラブチームに入りたがったときに、私一人で面倒を見切れないことから断念させた経緯があるので、うちは無理だと伝えました。兄と同様に、中学校の野球部に入ってもらおうと思っていたのです。

でも、何度話しても全然諦めないんですよね。学童野球の監督やOBなど周りの大人からも「蓮也くんは絶対クラブチームに入れるべき」と説得を受け、押し切られる形でヤングリーグの岡山MAKIBIクラブに入りました。

MAKIBIクラブでは10時と15時に補食のおにぎりタイムが設けられている。お昼ご飯と合わせて3合の白米を食べるのがルール。この日はウインナーやピーマン、卵を混ぜ込んだカレー風味のおにぎり。

息子と一緒に私も成長してきた

順風満帆に見えるかもしれませんが、実は小2の時に非常に珍しい「パンナー病」という肘の病気になりました。肘の骨が壊死していく病気で野球はもちろん重いものを持つことも禁止。この時は親子二人で泣き暮れる日々が続きましたが、驚異の治癒力で1年後には投げられるまでに復活しました。

スランプに陥ることもしばしば。印象的だったのは6年生の時、選抜チームでの試合でミスを連発したときのこと。泣きながら投げている姿を見て、居ても立ってもいられませんでしたが、当時の監督は「お前が周りを信じていれば、周りが絶対に助けてくれるから」とだけ言って、じっと見守っています。私はもうやるせなくて、観客席で他の保護者と無心で応援ダンスを踊りながら声援を送りました。結果、仲間たちが本当に助けてくれたんですよね。この頃から蓮也は、仲間と一緒に戦う野球の本当の楽しさを理解したように感じています。

親の方も覚悟が必要です。その試合の後、監督に「お母さんもきつかったろう。子どもとの間に一線引けたのは親の成長じゃ」と言われ、こらえていた涙が溢れ出したことを今でもよく覚えています。

「MAKIBIクラブで考える野球を学んだ」という蓮也さん。ベンチでは対戦相手の癖を見抜くためにじっくり観察。気づいたことを仲間たちと共有してプレーに生かしている。

すごく悲しいけど、私が足引っ張ったらいけんから

小さい頃の蓮也は相当わんぱくで、イタズラをしては何度菓子折りを持って謝りにいったか分からないほど。一方口下手で、自分の気持ちを言葉にして伝えるのは苦手。小さい頃は吃音もあり、イライラして自分を叩いたり物に当たったりすることもありました。そんな幼い頃の蓮也を知っているから心配は尽きません。

遠く離れた強豪高校に進学したいと言われた時には猛反対しました。想像している以上に厳しい世界だし、何かあったときに助けることもできないし、もっと近くの高校にするべきと何度も説得しましたが、決意は変わりません。ものすごく悲しいけど、受け入れることにしました。案外、心配は取り越し苦労なのかもしれません。
コミュニケーション下手だと思っていたのに、台湾の野球少年がうちにホームステイしたときには言葉の壁を軽々と超えて恋バナに盛り上がっていたし、親が知らないうちにずいぶん成長しているみたい。

レギュラーになれなくても腐らずに頑張って3年間やり遂げてくれさえすれば十分。そこにもし何らかの結果がついてきたなら本当に幸せなことだと思っています。

From Child to Parents

「いまのジャッジは違うと思います」。学童野球に入ったばかりの頃、審判にきっぱりと抗議する小さな蓮也さんの姿を見て、母さとみさんは驚いたと言います。わんぱくで自分の気持ちを表現するのが苦手な蓮也さんにとって、野球は湧き上がる感情を発散する、唯一の自己表現だったのかもしれません。右バッターのインコースをえぐるようなストレートがスカウトマンの目に留まるまで、そう時間はかかりませんでした。春からは武者修行。ひとりぼっちの戦いが始まります。

「マイペースでおっとりしとるけどマウンドに立つと目が変わるな」。MAKIBIクラブの武本佳之監督も蓮也さんの将来を楽しみにしている一人。絶妙な距離感で佐々木親子を見守ってきた。

野球はとにかく熱い! 熱いスポーツです

野球はチームプレーが熱いんですよ。みんなと協力して勝つのが楽しい。仲間がミスした時はなるべく自分から声をかけます。しかも「切り替えていこう!」とかじゃなくて、なんか笑っちゃうようなことを言って、ミスしたことを忘れさせたい。緊張が緩めば、いつものプレーができるから。

自分の投手としての持ち味は、力強いストレートとキレのある変化球。カーブとスライダーが得意で、結構自信があります。自分の能力を高め、試合で試せることも野球の魅力ですね。打者との対戦ではドキドキますし、勝負の醍醐味を感じます。

野球に対しての本気度が上がったのは、中学1年生の時に3年生の試合に出させてもらったときのこと。登板したのは最終回、3対1の接戦だったんですが、不甲斐ない投球で負けてしまったんです。3年生にとっては残り少ない試合だったこともあり、後悔で涙が止まらなかった。ピッチャーの責任の重さを感じるとともに、こういう負け方はもう絶対にしたくないと思いました。

料理上手のさとみさん。不足しがちなビタミンやたんぱく質を補うため、牛乳にきな粉を入れたり、汁物に野菜を多く入れたり、ひと工夫で栄養バランスを整えてきた。

厳しい環境は望むところ、バッチコイ!

将来の夢はプロ野球選手として一軍で活躍すること。そのためには自分を成長させてくれるための環境が整っていて、自分の夢を応援してくれる高校がいいと思い、進学先として県外の強豪校を希望しています。そこにはMAKIBIクラブの先輩もいて、「自分を磨くには最適な環境」と聞いたので絶対ここだと思いました。厳しい環境だと思うけれど、ライバルに負けずに、1年のうちにベンチ入りしてプレーしたいです。

自分はケガが多いタイプなんで、春までに今痛めている腰もしっかり治して、ケガをしにくい身体づくりをするために時間を割いています。特に股関節の柔軟性が課題で、自己ベストの135 km/hを8割の力で投げられるようになることが目標。高校に入っても大きなケガだけはしないように気をつけたいです

寮生活になることに対して最初はひるんだんですけど、本気でプロ野球選手を目指すには人間性もレベルアップしなければいけないと思い直しました。腹を括ってしまえば、特に不安はありません。お母さんがどう思っているかですか? 悲しいのかな? 僕にはあまり何も言ってこないんですけど、いつも明るくて元気な人だから、きっと大丈夫ですよ。

プレッシャーがかかるシーンでも淡々と投げ切るポーカーフェイスな投手。でも実際は悔し泣きすることも多いという。春からは、涙を拭ってくれるお母さんは側にいないけれど、新しい仲間とたくさん泣いて強くなってほしい。

母と兄が本気で叱ってくれたから

食事のことは意識しています。細すぎて、このままでは高校野球では通用しないと思うから。体重を増やしたり、栄養に気をつけたりして身体を強くしたいです。そのために、オレンジジュースなど果汁100%のジュースは飲むけれど、炭酸飲料は控えていますし、お菓子も惰性で食べないように心がけています。グミは止められないんですけど(笑)。好きな食べ物は牛タンとポテトとモンブラン。逆にトマトはあまり好きじゃない。お弁当に入っていて嬉しいのは卵焼きです。

うちはお兄ちゃんもお母さんも怖いんですよ。お兄ちゃんは何事にも真剣で厳しい人なので、ふざけていてよく怒られました。礼儀が大事なことも教えてくれたし、今の自分があるのはお兄ちゃんのおかげ。「それはダメだぞ」って言ってくれる大切な存在だし、お兄ちゃんの言うことは結構納得できます。

お母さんは仕事もしているのに、野球の送り迎えもご飯の用意も毎日欠かさずやってくれるすごい人。ダメなことをすると2 度とやらないようにめちゃくちゃ怒られますが、僕のことしっかり教育してくれているのだと思います。二人にはとても感謝しています。

※2024年10月 公開